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今日の心の空模様

fuwako.exblog.jp

言葉をつむぐということ

どこにもやり場のない思いってある。
なんかすごく嫌なものを見てしまったとき。
硬くて偏ってて、嫌なくらい硬質な言葉。
温かみのかけらのない言葉。
無機質で不快なほどに小難しい言葉。
そういうのを見てしまうと、自分がどうしていいかわからなくなっちゃう。
困るというよりも、ただただ嫌になる。
・・・そう思いながらも、わたしもそんな文章を書いちゃっててさらにいやっ!!!

やっぱりわたしは、物事をまっすぐ・やさしい気持ちで見つめたい。
温かみを持ち続けたい。
こねくり回して、自分にうそをついたような、本音を押し込めたような、なんとも言えないけど「・・・」って思わずだまってしまうような、そんな言葉はつむぎたくない。
最近、何かと文章を書く機会が多くて、知らず知らずのうちに、自分だけがわかっているような傲慢さを隠し持った文だけは書かないように、って強く思う。
100人の人のうち、たった1人だけが理解してくれるような、たった1人だけが強く共感してくれるような文章じゃなくて、100人の人が100通りに理解してくれるよう文章が書きたい。
誰が読んでも、その人が自身の気持ちを大切に、自分の立ち位置から見つめていろいろ考えてくれるような、そんな文章を書きたい。

いつぞやから好きになった人は、離れたところで過ごしてます。
なぜかメールを毎日します。
お互い「メールを断ち切れない症候群」なのです(笑)
今日は何を書こう、とか、どんな内容がうけるかな、とか、前のわたしならそんなことを考えながらうってたと思う。
でも今は違う。
そんなこと考えない。
そのとき感じたことを、ちょっと工夫して伝えようって思う。
いじくるのではなく、ひらめきを大切にした、思いを詰め込んだ言葉を連ねて。
絵文字がなくても気持ちがストレートに伝わるようなメールが理想だけど、やっぱりそれは難しい。
ぷつ、ぷつって途切れてしまって、淡白な印象を与えちゃう気がして。
その人から帰ってくる返信は、凝っていたり単純だったり。
ちょっとそれによって、気持ちが浮き沈みしてしまうけど、でもわたしが返すメールは気持ち込めてる(つもり・・・)
「すっごく好きー」っていう熱烈なラブコールではまったくなく、その人が読んでくすって微笑んでくれるといいな、という願いを込めて。
う~んって腕組しながら難しい顔をして読んでほしくない。
不機嫌でも、ついほほが緩んでしまうような、ハートフルなメールを送りたいなって。

自分らしさを失ってしまいそうになるときは、ひとりでいるようにしてた昔もあったけど、最近はちょっぴり違う。
人に会いたいと思ったら、会いたいなってそのまま伝えるようにしてる。
もちろん、相手が迷惑そうかどうかは常に気にしてしまうけど、億劫がったりはしたくない。
そのとき心にともったひらめきを、見失わないために、自分の気持ちに耳をかたむけてるの。
ふぅ、気持ちの整理おしまい。
# by fu-wako | 2007-04-20 18:02 | 日々の跡

ぐじぐじ迷想

かなり不完全燃焼な感じ。
今日は授業も順調に受けて、かなり気分が軽くなってたのに。
何かイベントをやることの難しさを感じた。
とりあえず集客。
どれだけ興味を持ってもらって、信頼を得られるか、ほんと難しい。
学園祭実行委員をやってても、自分で計画・実行できたことがない。
2年前に、唯一そんな機会があったけど、わたしは後から参加した新参者だったから、自己中に進められなかった。
汚い考えだけど、自分で全部できたらどうだったんだろうって思ってしまう。
もっとあれをこうして…あくまで結果論だけど、やっぱり自分なりに1から10までやってみたかった。
心からすごいと思える人の下で、明確で適格な指示をもらい、完璧にこなそうと頑張り抜くのが大好き。
すごく好き、楽しくてたまらない。
でも、外からいろいろ見てると、でしゃばりで口だけの嫌な自分がむくむく頭をもたげてきて…。
何かをしてみたくなる。
自分ならどうやるかなって。
大したことはできないかもしれなくて、むしろ考えも狭くて、実行力も足りないはず。
だけど、どこまでできるかやりたくなってしまう。
よくよく考えれば、去年、時間もゆとりもすべて費やして、必死になった学園祭委員の仕事は、結果はすごくなんてなかった。
大したことないじゃん、って言われそうな出来だったから、全くもって偉そうなことは言えない。
言っちゃいけない、だって出来なかったんだから。
でもなぜか、今度こそできるんじゃないかっていう、どうしようもない謎の自信が湧き上がってくるのです。
困ってしまうよね(苦笑)
たぶんきっと、ひたむきに頑張る素敵な友人に、めちゃくちゃ刺激されてる。
あたふたせずにやり抜く、彼女の真の強さに、ちゃんとヤキモチを焼き。
わたしがヤキモチを焼くのは、悔しいほどすごいって思うとき。
いま全然かなわなくて、でも追いつきたいって猛烈に思うとき。
不完全燃焼なわりに、気分は軽やか。
寝るまでの時間、家でゆっくりクールダウンして、明日からどんなふうに進んでゆくか考えたい。
# by fu-wako | 2007-04-18 21:45 | 日々の跡

不思議なプチ沈み状態

あまりにもさらさらと時間が…というより、すぱっと月日が去ってたことに気付いた。
前回の日記の更新日を読んで。
ぐるぐる考えて、鬱血した思いを抱えてしまって、毎日のように大学の図書館のPCで、長い長い日記を書いてた日々。
あんなに前のことだったんだ、と心底驚いた。
2月…2ヶ月近くも前。
春休みに入って、自分なりの過ごし方を模索してた頃。
たっぷりの春休みを持て余してしまいそうだったのに、そんなことは全然なくて、毎日何かに追われてた頃。
桜を楽しみに、心待ちにしてた。
そんな、春めいたきらきらの日々。

今は、少し濁ってる。
すべきことがきちんと決まっていて、真四角の箱に毎日の過ごす術を埋めていくような感じ。
春休みのように、自分で自由に時間を作って、素直に楽しむのとは何かが違う。
授業を自分で選んで、ゼミを自分で決めて、夜間学部の掛け持ちも自分で挑戦して。
全部自分の意志に沿って行動してることなのに、なぜかどこかすっきりしない。
どんよりしちゃってる。
気をつけないと、わけの分からない渦に巻き込まれて、どうしようもないドツボにはまりそう。
ちっちゃな疲れが、ちっちゃく積み重なってゆく感じ。
まだ新学期は1週間しかたってないのに、授業で寝ちゃうし。
体調不良では決してなく、たぶん気分不安定病。
病まではさすがにまだかな、症候群。
ここらでぐぐっとブレーキを引かないと、グレーゾーンに転がってしまう。
危ないあぶない、極めて苦手なブルー生活。
どうにか、霞のようなもやもやを取り除きたい。
気分を上げたい。
それにしても暗い日記。
読み返したくなくなるけど、その分、少しは気持ちが軽くなったかも。
# by fu-wako | 2007-04-17 21:42 | 日々の跡

あふれそうだから・・・

書きます、またいっぱい。
ブログを書くのは、あわただし過ぎて、突っ走り過ぎて、自分を見失いそうな自分を取り戻すため。
失ってしまった部分を補うため。
自分を忘れないため、自分を好きになるため、大切にするため。

わたしは、わかりやすい文章を書くことが好きで、そうしないと気持ちが整理できないんだって、いま、再確認しました。
いきなりまじめモードですが・・・。
なぜなら、難しい言葉を羅列して、自分の気持ちを抽象化したら、ずっと奥底深くまで見つめられなくなってしまうから。
感覚を大切にして、気持ちをうやむやにしないで、いつもまっすぐ自分と向き合いたい。
それはもちろん、何も考えないっていうことじゃなくて、考えれば考えるほど考えは澄んでゆくと信じてるから。
透明な思いを持つためには、複雑な思いを濾過するためには、素でいたいって思う。
人が作った言葉で装飾するんじゃなくて、ありのままの、まっさらな気持ちを大切にしたいって。
・・・と言いながら、複雑で思考の深そうな文章を書ける友達に嫉妬してるだけなのかもしれない、というかたぶんそう。
わたしは、自分が悔しいと感じた瞬間に、対抗しようとして自分を守ってしまう。
自分が壊れないように、自分を持ち上げて、安全なところに非難しようとしてしまう。
それじゃだめで、いつも回りの素晴らしさに刺激を受けて、それをエネルギーに変えていきたいし、そうしなきゃいけないってわかってるはずなんだけど・・・
うまくいかないものなのです。
(今もまたこうやって、わかりやすくて凝ったところのない文章を書いちゃってる、ちょっと悔しい・・・)

わたしの友達は、ベールのかかった、でも正直な文章を書くと思う。
彼女の文章は、何度か読み直してしまうし、気をとられてたら読み取れない深さを持ってる。
そこが好きだし、自分には無い部分だからあこがれる。
で、やきもちを焼く。
はぁ。
わかっててもできない、わかってるからできない、そんな感じなのです。
そして、こうして、やっぱりまっすぐな文章を書いてしまう。
書かずにいられない。
頭で文章を組み立てるよりも早く、指はキーを打ち、気持ちはPC上に乗っかってゆく。
気持ちがキーの上の指に移り、かちゃかちゃという音を鳴らしながら、スクリーンに映し出されてゆく。
近現代の音楽が苦手で、どうしても古典を好んでしまうわたしらしいんだよね、たぶん。
ラヴェルやプロコフィエフではなくて、バッハやモーツァルトに落ち着きを感じ、心の和みを得られるわたしらしい。
(と、言い聞かせてみるの、笑)

自分の気持ちや周りの現象に、名前をつけるのはやめようって思ってます。(何のこっちゃという感じでしょう・・・)
好きな気持ちを持っていることを恋と、誰かを想っていることを恋してる、そんな風に呼ばない、ということ。
自分の持っているありのままの気持ちに耳を傾けて、誰かに抱くあふれそうな想いを大切に自分のこころで包もう、そう思います。
YUIのCHE.R.R.Yがだから好き。
切なくて甘くって、まっすぐで、ありのままで。
しなやかでたおやかで、そんな女性にないたい、そう強く願ってる。
次に会うときに、自分も胸がときめいて、相手もどきどきしてくれるような、そんな自分になりたい。
夏に会うときは、笑顔で話して、信じられないくらいはしゃいで・・・そんな雰囲気を期待してしまうと、思いっきり切なくなる。
だって、叶わないかもしれないから。
でも、叶えたい。
今度会うときは、まっすぐ歩んでいたい。
回り道をしないっていうことじゃなくて、人にも気持ちにも嘘をつかないで、さらっと凛とした空気を身にまとった自分でいたい。

だから、夏まで、勉強に集中しようと思う。
余計なことに気を散らばせないで、これっと決めた1本道を突き進んでいたい。
でも、わたしは人の助言に歯向かいたくなるくせに、贈ってもらった言葉を後々まで大切にしてしまう性格だから、投げかけてくれる考えや言葉を、ちゃんとキャッチしたい。
キャッチして、吸収したい。
さらりと吸い込んで、これはだめだわって吐き出すまでも、投げてもらったボールを落とすようなことは絶対にしたくない。
人が好きだから、想いのキャッチボールで失敗したくない。

まっさらな自分に戻れそうなスカイブルーに、スキンを変更してみました。
# by fu-wako | 2007-03-17 17:42 | 日々の跡

すごくたくさん書いてみた。

ほんとにしばらくぶりに開いてみた。
筆まめで、さみしがりやだから、反応のあるmixiについつい日記を書いてしまい、こっちは書かなくなってた。
読み返すと・・・
ちょうど1ヶ月前の日記を読んでいて、まだ春休みに期待してる自分がいた。
もちろん、今だって期待してます、残りすくない春休みにネ。
でも、予定がぜんぜん組まれてなくて、何しよっかなってわくわくしてる1ヶ月前の自分を、今この瞬間にブログで確認すると、とっても不思議な気がする。
そして、いろんなことを詰め込んで、毎日があわただしい今の生活が、もっと不思議に感じてくる。
唐突だけど、明日わたしは21歳になります。
20歳の壁を越えて、本当に20代に突入します。
子供のようにはしゃいでばかりもいられず、中途半端に大人の世界を垣間見てげんなりしつつも、それに取り込まれてゆく自分になります。

なんで日記を書く気になったかといえば、いろんなことがめまぐるしく自分の周りで起こったから。
短い時間の間に、いろんな出来事に囲まれたから。
処理しきれないもどかしさと不安を感じたから、文章にすることにしたのです。
わたしにとって文章を書くことは、自分の気持ちを吐露することで、それは自分と向き合うこと。
だから、何かに追われてあくせく過ごす生活と距離をとって、冷静に自分を観察する時間が必要になったとき、文章を書くんだと思う。
誰かに読んでほしいというよりも、自分の気持ちを言葉で残しておきたいという願いを形にするために、こうやってキーを打ち続けてる。
今は、想いがぐちゃぐちゃになってしまって、混沌としたこころの整理をするために、日記を書きます。

忙しいこと、誰かに恋をしているという実感、そういうモノ・コトにわたしは満足してたんだって、最近ふと思えるようになりました。
今、自分がやろうとしていることそのものではなくて、スケジュール帳を埋め尽くす数々の予定たちや、それをパワフルにこなす自分のアクティブさに、満足してたんだって。
誰かをとても好きでたまらないという感覚ではなく、誰かに自分は恋してるんだっていうその出来事・現象に、満足してたんだって。
自分の想いが相手に伝わっても、相手の想いは希望通りの形で返ってこなくて、忙しいのに人の予定と比べて満足できない欲求不満気味の自分に気づいたとき、そう思えました。
大切なのは何かな、自分はそれをどう受け止めたらいいのかなって、考えれば考えるほど混乱してしまって、ああ実は自分は、何をわかった気になってたんだろうって、省みることができました。
忙しいということや、誰かに恋しているという現実が大切なんじゃなくて、やりたいことを思いっきりできて、誰かをとびっきり大好きでいられることがずっとずっと大切なんだって気づきました。
形だけの素晴らしさに満足してた自分って何?って。

人に会いたいから、バイトをしたいから、ピアノが上手になりたいから、・・・そうやって、いろんなことを詰め込むのは、誰かに「忙しいんだね、大変だね」って言われたいからやるわけじゃない。
自分の気持ちに正直になって、やってみたいことに片っ端からtryしていったら時間が足りなかった、ただそれだけのこと。
好きな人にメールして、返ってくるかこないかどきどきするのは、恋してる自分に酔うためじゃやなくて、恋してるんだねって他人に言ってもらうためなんかじゃない。
その人が好きで、いっぱいメールがしたくて、だから待ってしまう、もっともっと知りたくなって、どんどん好きになってしまう、ただそれだけのこと。
なんてちっぽけなものに囚われてたんだろう、って、気づけばなんてコトはないのに、そのときは必死になって、ちっぽけでどうしようもない何かに執着してしまう。
ありのままの自然体って何?って、いつも心の中で叫びながら、わからないよ誰か教えてって嘆きながら、でもほんとはわかってるんだよね、心のどこかで。
どうすればありのままで、どうすれば自分に素直に向き合えるかって。
それをわからないふりして、自分に弁明し続けてるうちにぜんぜんわからなくなってしまって、気づいたら何もかもがわからなくなって、窒息しそうになってた。

今、生活は充実してて、毎日何かしらの予定が入ってる。
人はそれを忙しいんだね・大変だねって言う。
そう言われると、なんだかえらくなったような気がして、威張ってしまいたくなって、それ以上先に進めなくなる。
やりたいことはもっとあって、ほんとはもっとがんばりたくて、すごい人を追いかけようっていう意欲にあふれてることをおざなりにしてしまう。
でも、それじゃだめだ。
確かに毎日忙しいけど、ほんとは英語の勉強をしなきゃだし、したいと願ってる。
もっと本が読みたくて、でも、もっとのんびりしたいと思ってる。
自分の部屋でリラックスしたいって思ってる。

今、好きな人がいる。
なんでかわからないけど好き。
でも、そんなにすきなのかと言われたら、ちょっとわからない。
それなのに、自分は好きな人がいて、その人に恋をしてるって思い込んで、しあわせなんだ・乙女なんだって、恋してる(?)自分に酔ってしまう。
それじゃ、ぜんぜんだめだ。
確かに好きだけど、全身全霊で好きかはわからない。
でも、メールをやり取りしてると、うれしくってほほがゆるんでしまうし、返信が来ないと落ち込む。
その人はもうすぐ遠いところ(と言っても国内だけど)行ってしまうから、会えなくなるのはとてもさびしい。
その人が辞めたバイトには、居る楽しみがもうないから辞めたいと思ってしまう。
夏休みには遊びに行きたいし、やっぱりきみを好きなんだ、って言ってもらえたらどんなにしあわせだろうって考えてしまう。
そういう一連の気持ちをひとくくりにして、恋してる自分を演出して、それに満足してしまうなんてばかでしょ、やっとそう思えます。
そういう気持ちはそういう気持ち、好きだから好き、会いたいから会いたいと思う。
それはとても自然なことで、それに関して自分がどうこう分析する必要はないんだよね。

自然体ってそういうこと、かな。
# by fu-wako | 2007-03-15 17:14 | 恋水