ほんとにしばらくぶりに開いてみた。
筆まめで、さみしがりやだから、反応のあるmixiについつい日記を書いてしまい、こっちは書かなくなってた。
読み返すと・・・
ちょうど1ヶ月前の日記を読んでいて、まだ春休みに期待してる自分がいた。
もちろん、今だって期待してます、残りすくない春休みにネ。
でも、予定がぜんぜん組まれてなくて、何しよっかなってわくわくしてる1ヶ月前の自分を、今この瞬間にブログで確認すると、とっても不思議な気がする。
そして、いろんなことを詰め込んで、毎日があわただしい今の生活が、もっと不思議に感じてくる。
唐突だけど、明日わたしは21歳になります。
20歳の壁を越えて、本当に20代に突入します。
子供のようにはしゃいでばかりもいられず、中途半端に大人の世界を垣間見てげんなりしつつも、それに取り込まれてゆく自分になります。
なんで日記を書く気になったかといえば、いろんなことがめまぐるしく自分の周りで起こったから。
短い時間の間に、いろんな出来事に囲まれたから。
処理しきれないもどかしさと不安を感じたから、文章にすることにしたのです。
わたしにとって文章を書くことは、自分の気持ちを吐露することで、それは自分と向き合うこと。
だから、何かに追われてあくせく過ごす生活と距離をとって、冷静に自分を観察する時間が必要になったとき、文章を書くんだと思う。
誰かに読んでほしいというよりも、自分の気持ちを言葉で残しておきたいという願いを形にするために、こうやってキーを打ち続けてる。
今は、想いがぐちゃぐちゃになってしまって、混沌としたこころの整理をするために、日記を書きます。
忙しいこと、誰かに恋をしているという実感、そういうモノ・コトにわたしは満足してたんだって、最近ふと思えるようになりました。
今、自分がやろうとしていることそのものではなくて、スケジュール帳を埋め尽くす数々の予定たちや、それをパワフルにこなす自分のアクティブさに、満足してたんだって。
誰かをとても好きでたまらないという感覚ではなく、誰かに自分は恋してるんだっていうその出来事・現象に、満足してたんだって。
自分の想いが相手に伝わっても、相手の想いは希望通りの形で返ってこなくて、忙しいのに人の予定と比べて満足できない欲求不満気味の自分に気づいたとき、そう思えました。
大切なのは何かな、自分はそれをどう受け止めたらいいのかなって、考えれば考えるほど混乱してしまって、ああ実は自分は、何をわかった気になってたんだろうって、省みることができました。
忙しいということや、誰かに恋しているという現実が大切なんじゃなくて、やりたいことを思いっきりできて、誰かをとびっきり大好きでいられることがずっとずっと大切なんだって気づきました。
形だけの素晴らしさに満足してた自分って何?って。
人に会いたいから、バイトをしたいから、ピアノが上手になりたいから、・・・そうやって、いろんなことを詰め込むのは、誰かに「忙しいんだね、大変だね」って言われたいからやるわけじゃない。
自分の気持ちに正直になって、やってみたいことに片っ端からtryしていったら時間が足りなかった、ただそれだけのこと。
好きな人にメールして、返ってくるかこないかどきどきするのは、恋してる自分に酔うためじゃやなくて、恋してるんだねって他人に言ってもらうためなんかじゃない。
その人が好きで、いっぱいメールがしたくて、だから待ってしまう、もっともっと知りたくなって、どんどん好きになってしまう、ただそれだけのこと。
なんてちっぽけなものに囚われてたんだろう、って、気づけばなんてコトはないのに、そのときは必死になって、ちっぽけでどうしようもない何かに執着してしまう。
ありのままの自然体って何?って、いつも心の中で叫びながら、わからないよ誰か教えてって嘆きながら、でもほんとはわかってるんだよね、心のどこかで。
どうすればありのままで、どうすれば自分に素直に向き合えるかって。
それをわからないふりして、自分に弁明し続けてるうちにぜんぜんわからなくなってしまって、気づいたら何もかもがわからなくなって、窒息しそうになってた。
今、生活は充実してて、毎日何かしらの予定が入ってる。
人はそれを忙しいんだね・大変だねって言う。
そう言われると、なんだかえらくなったような気がして、威張ってしまいたくなって、それ以上先に進めなくなる。
やりたいことはもっとあって、ほんとはもっとがんばりたくて、すごい人を追いかけようっていう意欲にあふれてることをおざなりにしてしまう。
でも、それじゃだめだ。
確かに毎日忙しいけど、ほんとは英語の勉強をしなきゃだし、したいと願ってる。
もっと本が読みたくて、でも、もっとのんびりしたいと思ってる。
自分の部屋でリラックスしたいって思ってる。
今、好きな人がいる。
なんでかわからないけど好き。
でも、そんなにすきなのかと言われたら、ちょっとわからない。
それなのに、自分は好きな人がいて、その人に恋をしてるって思い込んで、しあわせなんだ・乙女なんだって、恋してる(?)自分に酔ってしまう。
それじゃ、ぜんぜんだめだ。
確かに好きだけど、全身全霊で好きかはわからない。
でも、メールをやり取りしてると、うれしくってほほがゆるんでしまうし、返信が来ないと落ち込む。
その人はもうすぐ遠いところ(と言っても国内だけど)行ってしまうから、会えなくなるのはとてもさびしい。
その人が辞めたバイトには、居る楽しみがもうないから辞めたいと思ってしまう。
夏休みには遊びに行きたいし、やっぱりきみを好きなんだ、って言ってもらえたらどんなにしあわせだろうって考えてしまう。
そういう一連の気持ちをひとくくりにして、恋してる自分を演出して、それに満足してしまうなんてばかでしょ、やっとそう思えます。
そういう気持ちはそういう気持ち、好きだから好き、会いたいから会いたいと思う。
それはとても自然なことで、それに関して自分がどうこう分析する必要はないんだよね。
自然体ってそういうこと、かな。